固山宗次には載断銘が入っているものが多いですが
その中でも、固山宗次の自信作であったと思われる
載断銘の御刀があります。なんと六人で試し斬りを
行い、計21回も死罪人の身体で斬れ味を試した驚異的な宗次の特注刀剣が存在致します・・・・・・
(表)固山宗兵衛宗次作之・天保八年八月廿一日千住真向四ッ八巻四ッ及両車伊賀四郎左衛門乗重截断同年十二月廿一日山田五三郎両車真向二八巻四ッ後藤為衛門両車截断
(裏)
同十一年子十月十三日長畑芳太郎太々二匁同日木俣金吾太々寺山丈右衛門武利自
太々截断
(棟)
天保八年八月十一日作之
(裏)
同十一年子十月十三日長畑芳太郎太々二匁同日木俣金吾太々寺山丈右衛門武利自
太々截断
(棟)
天保八年八月十一日作之
斬り手は伊賀四朗左衛門、山田五三郎、後藤為右衛門、長畑芳太郎、木保金吾、寺山丈右衛門の六人。
御試し載断日時① 第一回目 天保八年八月二十一日
試し斬り人物 伊賀四朗左衛門
切断部分名称回数 真向4回、八巻4回、両車1回
御試し載断日時②
第二回目 天保八年十二月二十一日
試し斬り人物 山田五三郎
後藤為右衛門
切断部分名称回数 両車一回、真向二回、八巻4回
両車一回
第三回目 天保十一年十月十三日
試し斬り人物 長畑芳太郎
木保金吾
寺山丈右衛門
切断部分名称回数 太々二回
太々一回
太々一回
一振りの刀を使って、死罪人の身体をここまで試し斬りした記録を持つ刀はそうそう無い。固山宗次の
よほどの自信作の刀と思われるそうです。試し斬りした日時を見ると、第一回目から第三回目までの期間、三年間の期間を開けて斬っているところがなかなか生々しいですよね・・・・。なかなか死刑執行されて斬首刑執行された死罪人の身体を数体分確保するのが難しかったのでしょうか・・・・・・・。